2008.11.25
***〜後ろ姿が語るもの〜***
美しさを表す表現は色々で、たとえば、「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花・・・」
このように、単に美人というだけではなく、立ち振る舞いの美しい表現を花に例えて表し語り継がれている
形容や、美術の世界では、浮世絵の祖と言われる菱川師宣筆『見返り美人』には正面だけの姿だけで美しさを判断するのは愚かだということを教えられます。
17世紀末当時の流行の「吉弥〔きちや〕結び」と呼ばれる帯の結びと、紅色の地に菊、桜を刺繍した着物を見せるため、歩みの途中で見返る姿をとったと推定されている『見返り美人』
『後ろ姿の美』をこの絵は語りかけています。
これは我が家の後ろ姿
陰影をつけるだけの理由で2階にバルコニーをつけ、エグリ取ったようなデザインです
このプランを見たときに、私は深い衝撃を受けたのです。
立面図を見た瞬間、「カッコいい・・・」と思ってしまった。。。
そして、日が経つにつれ、自分の浅はかさを思い知ることに・・・
深く考えずに決めようとしていたこの土地は、大きめの道路に面しているので
後ろからも丸見えな上、公園に隣接しているため、横も丸見え。
要するに、ほとんど隠しようが無い立地だったのです。
隠しようがないということは、即ち外壁などでコスト調整を図るのは難しいことを意味しています。
さて、前回は土地選びに少し触れましたが、一般的に『角地』は建ぺい率の緩和や日照の確保、
プランの柔軟性などから人気も高く物件も少ないのが現状ですが、我が家のパターンのように
目立つ場所というのは常に人目に晒されるため、人目を意識してしまう
→減額の場面で苦しむという可能性もあります。
我が家のほとんど使えない猫の額のバルコニーは、その後何度も減額の議題に上っては
消え、上っては消え。。。を繰り返しました。
外観のエグリにこだわって、心もエグられるなんて何とも滑稽な話。
けれど今は、「経済事情」を考慮しても、まったく後悔はありません。
その時に 結局、気持ちがそこに辿り着いてしまっていたということは、断念すると未練だけが
残るような気がしました。
考え抜いて出した結論は後悔とは無縁なのかもしれません。
人の後ろ姿も多くを語ります。
「背中で泣く」「背中が踊る」など、むしろ正面から見る表情より後ろ姿の方が
その人の本当の気持ちがわかることもあります。
顔の表情でごまかすことができたとしても、後ろ姿までごまかすことは難しいことを
私たちは知っています。
家の後ろ姿にも、そんな豊かな表情があるのかもしれないと想像すると
他を削ってでもそれを軽視することはできませんでした。
でも、好都合なことに 何を諦めたのか不思議とあまり思い出せないのです(笑)
ただ、外観にこだわって室外機やダクトが気になるエアコンを
つけることを諦めたのだけは、否でも夏の暑さが思い出させてくれます。
コンセントだけは確保したので、不快指数が私の外観の美学を上回ったらその時に
考えることにしています
私にとっては惚れた弱みにつけ込まれたにも関わらず、結局目にするたびに
満足感を得られるほど、ここに魅力を感じられているのは最も幸せな自己満足のような気がします。
コスト調整は家づくりの過程において、最も頭を悩ませる苦しい作業です。
まさに、“顔で笑って背中で泣いて”
手の届きそうもない非現実的な金額なら、いっそのことキッパリと諦めもつきますが、
いかにも、少し頑張って手を伸ばしたら届くような気がする 中途半端な額の積み重ねが多いため、
優先順位をつけることがストレスになるのです。
見た目のデザインにこだわるのか、快適な機能にこだわるのかは各家庭それぞれ。
ただ一つ言えるのは、どっちでもいいのかな・・・と思えることは、自分にとってその程度の存在
のような気がしますし、原点に戻って考えた場合にも、たとえ他人にとってはどうでもいいことだとしても、
自分の気持ちがそこから離れない場合は、最も大切にしたい部分なのだと自分自身の「心」が
教えてくれているような気がします。
そんな心のシグナルに耳を澄ませて敏感になればきっと本当に大切なものに気がつくはず・・・
惚れた弱みに素直に流されてみても、後々悔いは残らないような気がするのです。
家づくりは自分自身の価値観と向き合う最大のチャンスと考えて・・・